ゆっくりのんびりいきましょう。
俺はバスに揺られていた。
どこへ向かっているのか、はっきりしない旅。
ここはどこなんだろう――そう思ったとき、遠くでバイクの音が聞こえてきた。
その音で、俺はこの世界に戻ってきた。
月曜日が、ふたたびやってくる。
今朝はまぶたがやけに重い。
おもりが付いてるんじゃないかってくらいに。
それでも、俺は起き上がる。
カーテンを開けると、風がびゅうっと吹き込んできた。
台風が近づいているらしい。久しぶりの雨予報。しかも、けっこう降りそうだ。
車に乗る。
ラジオからは、インドのカースト制度についての話が流れてきた。
現代では法律で禁止されているカースト制度。
でも、実際には今もその影響が根強く残っているという。
「カースト」という名前自体は、もともと西洋人がつけたものらしい。
実際の仕組みは、もっと複雑で、もっと根が深い。
生まれながらにして職業や暮らし方が決まり、
身分の違う人と食事をともにしてはいけないという規制。
水や食料を分け与えることさえ許されなかったという。
人間は、自分とは違うものを分類し、順序をつけたがる。
それは、認知のクセでもある。
でも、そういう差を乗り越えるには、教育が必要なんだと話していた。
なるほど、と思いながら聞いていたら、
気がつけば、いつものあの場所の駐車場に着いていた。
空は真っ黒な雲に覆われていて、強い風が吹いていた。
海は荒れていて、今にも雨が降り出しそうだった。
建物に入ったとたん、どしゃぶりの雨。ギリギリセーフ。
さあ、今週も始まった。俺の戦いの場だ。
あの場所——それは一見すると、ただの建物だ。
けれど、そこには日々、目に見えない戦いが渦巻いている。
朝の読書では、人生論についての本を読んだ。
「人生とは、選択の連続である」
何を選ぶか、その積み重ねが、未来の自分をつくっていく。
そして、始まりの鐘が鳴る。
月曜日の午前中は、いつもの会議から始まる。
名ばかりの会議。
何かを決めるふりをしながら、何も決まらない。
でも、その“ふり”が、この世界のルールだ。
誰かの目を気にしながら、うなずく人。
言いたいことがあるのに、言わずに飲み込む人。
発言を避けて、ひたすらメモを取るふりをする人。
俺もその一人なのかもしれない。
正論より空気が勝るこの空間で、
正直であることは、勇気ではなくリスクだ。
ときどき、視線が天井をさまよう。
ここがどこかの宇宙船なら、脱出ポッドはあるだろうか。
そう考えるたびに、少し笑えてくる。
そんな空気のなかでも、誰かは今日も必死に戦っている。
家庭を背負って、将来を考えて、やりがいを探して。
俺も、俺なりに、この場所での意味を問い続けている。
だからこそ、時折やってくる“うどん小屋の鐘”は救いだ。
外に出て、傘をさしながら歩く。
雨の日のうどん小屋は、なんだかぬくもりがある。
湯気と人の声と、ほどよい沈黙。
この場所に流れる時間は、あの場所とはまるで違う。
並んで、待って、うどんが来たらすぐに食べて、また去る。
でもその短い時間が、午後への充電になる。
外に出ると、雨は上がっていた。
空を見上げると、雲のすき間から青空が見える。
まるで、一瞬だけ差し込んだ希望の光のように。
午後の会議は、朝よりもさらに静かだった。
エアコンの音とキーボードのタイピングが、ただ響く。
でも俺の心の中には、すでに“明日”がある。
そう、明日は有給休暇をとっている。
だから、あと半日がんばれば、あの場所を離れられる。
そう思うだけで、少し肩の力が抜けた。
目を閉じると、バスに揺られている自分が浮かぶ。
向こうの世界で、俺はまた旅をしている。
どこに行こうか、誰と会おうか、それともただ風に揺られてみようか。
週のはじまりの月曜日。
戦うように始まった一日だけど、
今日を越えれば、また違う風景が待っている。
ゆっくりでいい。
のんびりいこう。
俺は、俺のペースで、この旅を続けていく。
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