どこか遠くの世界から戻ってきたような感覚がある。
けれど、どこから来たのかが思い出せない。
気づけば、あっという間に朝がきていた。
カーテンを開けると、空は雲に覆われていた。
天気予報では、今日は雨になると言っていた気がする。
木曜日。週の真ん中を越えたはずなのに、一番しんどい日だといつも感じる。
ベッドの横には、空きかけのシーバスリーガル12年。
あっという間の朝は、こいつの仕業だったのかもしれない。
リビングに行くと、カピバラのタケルとダイチも眠そうな顔で起きてきた。
「おはよう」と声をかける。少しだけ日常が戻ってきた気がした。
玄関を出ると、庭のブルーベリーが青い実をつけていた。
朝日がまぶしくて、空を見上げると、晴れ間に真っ黒な雨雲が浮かんでいた。
赤とんぼが、雨雲と青空の境界をひらひらと飛んでいく。
車に乗り込む。エンジンをかけると、ラジオが東インド会社の話を流し始めた。
ヨーロッパの歴史を学ぶと、必ず登場するあの会社。
中でもオランダ東インド会社は最強だった。
理由は、金があったから。つまり資本の力だ。
世界初の株式会社。
有限責任。リスクとリターンの分離。
なるほど、難しいけれど今の世界の原型みたいな話だ。
そんな資本主義の話を聞きながら、俺はあの場所へ向かって車を走らせる。
目の前には、黒い雲が垂れ込めている。
まるで闇に覆われた魔王の城のような、あの場所。
そこには、個性豊かな敵キャラたちが待ち構えている。
まず現れたのは、歩きスマホ野郎。
おそらく一番の雑魚キャラだけど、油断していると事故になる。
次に、暴走チャリおやじ。
ランニングお兄さんが汗だくで駆け抜ける。
海馬コーポレーションの派遣社員たちが、それぞれの部署へ散っていく。
金金おじさんは「それ、もう振込済み?」と今日も金にうるさい。
最強の事務員は、無表情のまま書類をさばいていく。
やれやれおじさんは、今日も「また会議か…」と天を仰いでいた。
そして常連のひとりになった、笑い袋おじさん。
タイミングも文脈も関係なく、突如として爆笑を響かせる。
誰もがスルーするが、誰もが気にしている。そんな立ち位置に落ち着いたようだ。
今日の新顔は三人。
ひとり目、「金髪マッシュルーム」。
ふんわり整えられた金髪のマッシュヘアに、曇りのない眼差し。
手には最新型のスマートデバイス。たぶんAIを5体くらい飼っている。
服は真っ白で汚れひとつない。ミントの香りが風に混じっていた。
ふたり目、「ロン毛くん」。
肩まで伸びた黒髪を、サッと耳にかけている。
視線は常に遠くを見ていて、なにかを企んでいるような、あるいは何も考えていないような。
朝から缶コーヒー片手に、なぜかタバコを吸っているふりをしている。火はついていない。
そして三人目、「無口の住人」。
誰よりも静かにその場にいる。目立たないのに、いるだけで妙に空気が張り詰める。
存在感というより、質量のある沈黙。言葉がない分、逆に印象が深くなる。
おそらく誰とも話していないが、全員が彼の名前を覚えている。不思議な人だ。
この場所のキャラクターたちは本当に個性的だ。
グッズを出してもたぶん売れない。けど、やたらと記憶には残る。
はじまりを告げる鐘が鳴った。
同時に、空から雨が落ちてきた。
まるで梅雨入りしたかのような、湿気をまとった空気。
外はサウナみたいだ。ありがとう、エアコン。
昼になり、うどん小屋を告げる鐘が鳴る。
傘をさして、雨の中うどん小屋へと向かう。
雨の日はだいたいいつも満員だ。
今日はきつねうどんを注文した。
七味は多め。というか、七味うどんと呼んでもいいくらいだ。
汗をかきながら、うどんをすすった。
身体の内側から熱が吹き出す。
スープを飲み干すと、底には七味がびっしり沈んでいた。
まるで煮えたぎる池のようだった。
そのあと、またあの場所へ戻る。
さすがに七味を入れすぎたか。胃が少し痙攣してきた。
海馬コーポレーションの派遣社員たちが、昼のデュエル会場へ向かっていく。
中にはコスプレで出陣する者もいた。さすが名門の派遣だ。
もし東インド会社からの派遣社員が来たら、たぶん一瞬で彼らは撤退するだろう。
雨は、明日の朝まで降り続くらしい。
昼休み、俺はまた向こうの世界へ行く。
あっちの世界では、どんなことが待っているのか。
俺は、ふたたびこの世界に戻ってこられるのか。
深い深い眠りにつく。
願わくば、次に目を覚ましたときは
虹のかかる、晴れた世界でありますように。
あたらしい大陸をめざして
俺は静かに、船を漕ぎ出す。
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