海沿いを歩いていると、一枚の紙切れが風に乗ってこちらへ飛んできた。
拾い上げてみると、それはなんとメジャーリーグのチケットだった。
唐突に始まった物語の予感に、俺は素直に乗ってみることにした。
アメリカ行きのチケットを手に、俺は空を飛んだ。
巨大なスタジアム。その存在感に息を呑む。
まるでデパートのように複雑で広大な内部。グラウンドでは、すでに試合が始まっていた。
打席には、あの日本のスーパースター。
ピッチャーが投げる。彼がフルスイングで放った打球は一直線にこちらへと飛んできた。
そして――
俺は、そのボールをキャッチした。
だが次の瞬間、ボールの勢いで吹き飛ばされ、意識を失った。
気がつくと、いつもの世界に戻っていた。
枕元にはあのボール。手にはしびれが残っている。
夢だったのか?いや、あの感触は……。
車に乗り込み、スーパーで朝ごはんを買う。
外には野球のユニフォームを着た学生たちが集まっていた。
彼らはきっと、未来のメジャーリーガーたちなのだろう。
日本のプロ野球だって、まだまだ負けてない。
車のラジオからは、あるユダヤ人少年の話が流れていた。
それはとても重く、胸が痛くなる物語だった。だが、耳を塞いではいけない。
「人格があるのに、人格がない」――その言葉が胸に残る。
つまり、それは“人格の捨象”。
人間が持つ脳の特性のひとつだ。
私たちの脳は、自分が属さない集団に対して、自然と距離を取ってしまう。
たとえば、服装や宗教、外見、言語など。目に見えやすい特徴で他者を「カテゴリ」としてまとめてしまう。
これは悪意というより、脳の処理効率の問題だと言う専門家もいる。
自分たちの集団を守るために、他者を一括りにしてしまう。
それが、時に偏見や差別として現れてしまう。
ドイツとユダヤの関係がそうだったように、悲劇は脳の無意識から始まる。
けれど、脳に善悪はない。
あるのは、その機能にどう向き合うかという、人間の姿勢だけだ。
危うさを自覚し、丁寧に考え、対話を重ねる。
それが必要なんだと、ふと思った。
そんなことを考えているうちに、あの場所にたどり着いた。
虫取り網を持った少年がいた。
夏休みの空気が漂っている。
だが、俺にはまだ夏休みはない。
今日は木曜日。週の疲れが最も色濃く出る日だ。
いつものようにパソコンを立ち上げ、静かに作業を始める。
打ち合わせも何件かある。
何気ない、いつもの日常。だけど、今日はとても重たく感じた。
逃げ出したい。
眠気が体を覆う。
ふと、先日の学習発表会のアンケート結果が届いた。
眠気をこらえながら読み始めると、参加者からの率直な声が並んでいた。
「発表の趣旨が分からない」「何のための会だったのか見えない」。
そうだよな、と俺は自然にうなずいた。
思いつきで人を動かすのは、やっぱり危険だ。
そのリスクが、こうして文字になって返ってきている。
だが、最近の若者は静かに見えて、驚くほど正直だ。
そこが面白い。
感情を込めすぎず、だがしっかり伝えてくる。
このアンケートを読んで、俺の頭も少しずつ冴えてきた。
その時、うどん小屋の鐘が鳴った。
スープを体に流し込み、頭も胃も完全に目覚めた。
午後からは、このアンケートをもとに次の動きを考えよう。
でもふと、あの発案者がこのアンケートを読んだ時のことを思った。
かなりメンタルがやられるだろうな……。
いや、もしかしたら、そこからまた新しい何かを思いつくかもしれない。
この世界に、正解なんてない。
本人が成功だと信じれば、それがその人の正解になる。
失敗から何を拾うか。それが、すべてだ。
アンケートのおかげで、俺の頭は少し冴えた。
そしてうどんスープを一口、また一口と流し込む。
昼からも働ける。たぶん、ちゃんと向き合える。
午後は、このアンケート結果をもとに、発表会の意義や、やり方について考えてみようと思った。
参加者の声は時に鋭く、痛みを伴うけれど、それでも受け取る価値はある。
何かを思いつく人間には、それに付きまとう責任もある。
でも、人は完璧じゃない。間違える。見誤る。
だからこそ、こうして誰かの「声」で、軌道修正していくんだろう。
ふと、あのラジオの言葉がまた思い出された。
「人格があるのに、人格がない」
遠くの誰かを“ただの誰か”としてまとめてしまう脳のくせ。
見慣れない服、聞き慣れない言葉、それだけで「自分と違う」と感じてしまう本能的な反応。
それは、時に争いや差別を生んでしまう。
アンケートに書かれていた声も、どこかそれに似ている気がした。
本質を知ろうとせず、わかりやすい表面に反応してしまうのは、俺たち自身にもある。
でも、それを“脳の性質だから仕方ない”で終わらせてはいけない。
大切なのは、その先にある。
相手の背景や想いに耳を傾け、分類ではなく、個として見ていくこと。
たったひとつの意見に、誰かの真剣が宿っているかもしれない。
俺はうどん小屋を後にした。
再び戻っていく、あの場所へ。
パソコンの画面の向こうにいる人たちも、街ですれ違う誰かも、
きっと誰もが、自分の物語を持っている。
そのことを、俺は今日、少しだけ強く思った。
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