目が覚めたのは、いつもよりだいぶ遅い時間だった。
昨夜の夜市での疲れが、まだ体に残っているのかもしれない。
深く眠っていた感覚がある。夢の内容は思い出せないが、向こうの世界の記憶が、かすかに胸の奥に残っている気がした。
窓の外では、今日もセミたちが元気に鳴いている。
そうだ、今日は久しぶりにバイクに乗ろう。
ソロツーリング。
とはいえ、真夏の日差しの中を走るのは無謀すぎるから、朝の涼しいうちだけの短い旅にしよう。
たまにはエンジンをかけてやらないと、機嫌を損ねてしまいそうだし。
バイクカバーを外して、愛車を外に引きずり出す。
……お、おもい。
久々に動かす大型バイクの重さに、早くも汗が吹き出す。
これだけで、すでに一仕事終えた気分だ。
「さて、エンジンはどうかな」
スイッチを押すと、セルモーターの音と共にエンジンが唸りを上げた。
久々の起動だったけれど、思った以上にスムーズにかかってくれた。
さすが俺の相棒だ。いい音だなぁ……
メッシュジャケットを羽織り、ヘルメットと夏用のグローブを装着する。
跨ると、身体が自然にバイクに馴染んでいく。
目的地はない。
ただ風の吹くまま、気の向くまま。
とりあえず東へ向かって、走り出すことにした。
まだ朝の光は柔らかく、空気にもほんの少しだけ涼しさが残っている。
バイクに乗っている間は、風が全身を撫でてくれて、とにかく心地いい。
国道に出て、ゆっくりと走る。
今日は、この道をただひたすら進んでいこうと思った。
日曜の朝だからか、道はすいていた。
暑すぎて、みんな外出を控えているのかもしれない。
時折すれ違うライダーたちが、手を挙げて挨拶をしてくれる。
俺も、それに応える。
いわゆる“ヤエー”というやつだ。
軽く手を上げる人もいれば、全力で手を振ってくる人もいる。
中には、言えないようなポーズで応えてくる人もいて……それは、まぁ、ここでは伏せておこう。
山道に入ると、空気が一変した。
木陰は驚くほど涼しくて、風の中にほんの少しだけ、土と緑の香りが混じっていた。
ああ、これぞ爽やかというやつだ。
道の駅に寄って、ひと休みすることにした。
気がつけば、かなりの距離を走っている。
このあたりで折り返すのがちょうどいい。
真夏の昼間のツーリングは、人にもバイクにも過酷すぎる。
水を飲んで、エンジンを冷ましながら、ぼんやりと周りの景色を眺める。
ライダーたちが続々とやってきては、また走り出していく。
そのひとりひとりに、心の中で「お気をつけて」とつぶやく。
帰り道も、たくさんのライダーとすれ違った。
帰るころには、風は熱風に変わっていた。
涼しさなんて、どこか遠くへ行ってしまったようだ。
それでも、なんとか家までたどり着いた。
さすがに帰りは堪えたな……体力が、がくんと落ちているのがわかる。
バイクを拭いて、カバーをかける。
エンジンに手をかざすと、触れただけで大火傷しそうなほど熱かった。
「今日もおつかれ」
ぽつりと声をかけて、俺は玄関に向かう。
家に入ってすぐ、水分をがぶ飲みする。
冷たい水が、体に染みわたる。
昼は、昨日もらった焼き鳥にしよう。
やっぱり夏は焼き鳥だ。いや、冬も焼き鳥だけど。
要するに、俺は焼き鳥が好きなのだ。
オーブンで温め始めると、すぐに香ばしい匂いが漂ってきた。
この匂いだけで、ご飯三杯はいけそうだ。
昨日買った海苔も添えてみる。
海苔には海の栄養が詰まっているらしいし、なにより美味い。
やっぱり、すべての食べ物に感謝しないとな。
午後になると、少し頭痛がしてきた。
薬を飲んで、横になる。
外は相変わらずの猛暑。無理は禁物だ。
ちょうど今日は、高校野球の地方大会決勝。
勝てば甲子園、負ければ終わりの真夏の熱戦。
球児たちには、悔いのないプレーをしてほしい。
薬が効いてきたのか、まぶたが重くなる。
目を閉じると、ふわりと意識が遠のいていった。
――気がつくと、俺はどこかのイベント会場にいた。
ヨーヨー釣り、金魚すくい、射的。懐かしい風景が広がっている。
スマホを見ると、表示された年は「1986年」。
……俺の生まれた年じゃないか。
どうやら、ずいぶん昔に戻ってきてしまったらしい。
この場所は、俺の生まれた街だ。
懐かしさが胸を締めつける。
通りを歩いていると、見覚えのある顔がちらほらと目に入った。
でも、こっちの世界で話しかけるのは、やめておいたほうがいい気がする。
俺はただ、街を歩いた。
タクシーに乗って、行き先を告げる。
車が動き出すと、やがて景色がゆっくりと溶けていった。
――目が覚めると、夕方だった。
近所で夜市をやっているらしいので、ふらりと出かけてみた。
まだ空は明るかったが、すでに人で賑わっている。
日曜の夜に、夜市をのんびり歩くのも悪くない。
金魚すくいの水面に、夕空の色が揺れていた。
夏って、やっぱりいいな。
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