船に揺られながら、俺は沖へと出ていた。
遠くに、大きな島が見える。
のんびりと釣り糸を垂らし、魚がかかるのを待つ時間。潮の匂いと風が心地いい。
――と思えば、次の瞬間、俺はマリーナに立っていた。
中古の船を眺めながら、これだという一艇を見定めている。
気づけば、釣具屋の棚の前で竿を選んでいた。新しいルアーに手を伸ばしながら、どこかへ釣りに出かけたくてたまらない。
……たぶん、向こうの世界での出来事だったんだろう。
ふと、朝がやってきた。
今日はばぁちゃんの法事がある日だ。
数日前、夢の中でばぁちゃんに会った。
だからきっと、ばぁちゃんもこっちの世界に戻ってきてる気がする。
バイクの音が聞こえる。
それが最近の、俺の目覚まし代わりになっている。
山奥にあるばぁちゃんの家までは、片道2時間の道のりだ。
パソコンをバッグに入れて、数珠をポケットにしまう。
セミの鳴き声を聞きながら、車に乗り込んだ。
街を離れ、山道を登っていく。
途中、シカやタヌキ、サルといった動物たちに何度も出くわす。
野を越え、山を越えて、俺はようやくばぁちゃんの家にたどり着いた。
一年ぶりの再訪だ。
南側の空は晴れていたのに、山の上は分厚い雲に覆われ、しとしとと雨が降っている。
山の天気はほんとに気まぐれだ。
お仏壇に線香をあげたとき、ふと視線の先に違和感。
……お供え物に、巨大な蟻が群がっている。
いや、でかすぎる。これはもう別の生き物なんじゃないかってくらい。
田舎に来たなぁと、しみじみ思った。
こっちの虫は、本当に規格外だ。
それもまた、自然が豊かだからこそかもしれない。
そのとき、草むらの中に黒く輝く何かが見えた。
まさか――と思って目を凝らすと、そこにはクワガタがいた。
子どもの頃の憧れ。
カブトムシと並ぶ、夏の王様だ。
大人になった今でも、クワガタを見ると胸が高鳴る。
今日ここまで来てよかったと、心から思えた。
……とはいえ、法事までにあの蟻たちをなんとかしないと。
ばぁちゃんの家は築百年以上の古民家だ。
木造で、土壁のある、日本の伝統的な家。
だからこそ、家の中にもたくさんの生き物たちが暮らしている。
やがて和尚さんがやってきて、雨の中で法事がはじまった。
静かに手を合わせながら、ばぁちゃんのことを想う。
お墓にも手を合わせて、法事は無事に終わった。
そのあいだだけは、不思議と蟻たちも静かだった。
まるで空気を読んでいるみたいに。
遠く離れて暮らす孫たちも、オンラインで法事に参加した。
そして、生後六ヶ月のひ孫も。
ばぁちゃんに向かって、何かを話しかけるような仕草をしていた。
初めての法事。きっと、ちゃんと伝わっていたと思う。
時代と共に、法事のかたちも変わっていくんだなと思った。
「ばぁちゃん、また来るよ」
そう言って、俺は山を後にした。
帰り道、あの雨が嘘だったかのように空は晴れていた。
ふと寄った道の駅で、大人たちの憧れだった巨大なスーパーロボットの像を見つけた。
……今日は、憧れにたくさん出会う日だった。
クワガタ、スーパーロボット、そして、ばぁちゃん。
もしかするとそれは、全部ばぁちゃんからのプレゼントだったのかもしれない。
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