小鳥とセミが、早朝から合唱をはじめていた。
まるで夏のコンクールに向けた最後の追い込みみたいだ。
俺は古い木造校舎の中にいた。夏休み中の学校には、生徒の姿はなく、静けさが支配している。
まるで、生徒たちがこの世界から一時的に消えてしまったかのようだった。
木枠の窓からは、絵に描いたような夏空が広がっていた。
誰もいない校舎に響く合唱の練習の音が、夢の続きのように残っている。
それと同時に、俺は目を覚ました。
今日は夜市がある。
それまでの時間、海でも見に行こう。
ちょうど港でラジオ体操もやっているらしい。
今日のラジオの話題は「飽き」について。
人はなぜ飽きるのか——。なかなか興味深いテーマだ。
飽きることは悪いことなのか、それとも必要なことなのか。
本を書くというのは、後悔の連続でもある。
「なぜあの話を入れなかったのか」と思うし、「ここはもっとこうできたんじゃないか」と思う。
喋っていても、飽きる瞬間はやってくる。
同じ話を何度もしてしまい、自分でも嫌になることもある。
テーマは違っても、どこかで同じことを繰り返しているような感覚。
それが「飽き」なのかもしれない。
でも、「飽きること」そのものについて考えていると、不思議と飽きない。
人間って、おもしろい生き物だなと思う。
港に着いた。
今日はやけに風が強い。いや、爆風と言ってもいい。
海には白波が立ち、フェリーも少し揺れているようだ。
それでも、島へ向かう船は時間通りに出港していく。
「お気をつけて、いってらっしゃい」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
風は強いが、それがまた気持ちいい。
ラジオ体操の参加者たちが、次々と港に集まってくる。
お互いに挨拶を交わしながら、音楽が流れ始めた。
ラジオ体操、第一。
大人も子どもも、ちゃんとリズムに合わせて体を動かしている。
しっかりやると、意外と疲れる。
汗が流れてきたけど、それがまた気持ちよかった。
体操のあとは、地域の人たちとの情報交換。
「今度あの店、営業時間が変わったらしいよ」とか、
「隣町で小さなマルシェやるらしい」とか、
そんな小さな情報も、生活のリズムのひとつになる。
みんな、それぞれの土曜日へと歩いていった。
俺は今夜の夜市の準備へと動き出す。
途中、道の駅に立ち寄り、大好きな海苔を手に入れた。
この海苔でおむすびを作ったら、間違いなく最高だ。
風は相変わらず爆風のまま。
夜市の時間までには、少しおさまってくれるといいのだが。
足りない小物を買い足すために百均にも寄った。
今の百円ショップは、本当にクオリティが高い。
「これが百円でいいのか」と思うくらいだ。
とはいえ、探しているものが意外と見つからなくて、ちょっと焦る。
必要なものはなんとか揃え、ようやく家に戻る。
遅めの朝ごはんは、昨夜の炊き込みご飯と、そうめん入りの味噌汁。
ホッとする味だった。
少し横になって、夜市に備えることにする。
目が覚めると、すでに出発の時間。
「よし、行こう」
五重塔が見える夜市会場へと向かった。
到着すると、すでに出店者さんたちが準備に取りかかっていた。
昼の一番暑い時間帯からの作業。
けれど今日は、風が味方になってくれている。
夏の陽射しの中、汗をかきながら、テントを張り、コーヒー器具を並べていく。
お客さんもぽつぽつと集まりはじめた。
暑い中、それでもコーヒーを飲みに来てくれる人がいる。
それが、ほんとうにうれしい。
やがて陽も傾き、夏の夕暮れがやってくる。
俺はこの時間が好きだ。
陽射しに耐えた人たちが、やさしい風に包まれるような時間。
少しだけ静けさが戻ってきて、空気が落ち着く。
五重塔のシルエットが、夕闇のなかに浮かび上がる。
幻想的な景色だ。
出店者さんたちも、忙しさの合間に笑顔を見せていた。
お互いの工夫やアイデアを交換しながら、情報が行き交う。
こういう場にこそ、情報公開の価値があるのかもしれない。
必要な人に、必要な情報が、ちゃんと届く。
誰かが知っていたことを、別の誰かが受け取る。
それだけで、ずいぶん世界は豊かになる。
夜市も、終わりの時間を迎えた。
静かな夜に、笑い声と風の音が残っていた。
片付けを終え、出店者さんたちにあいさつをして、俺も家路につく。
疲れているはずなのに、足取りは軽かった。
そして家に戻る前に、いつも夜市で買って帰る、大好きな焼きそばを一つ。
ソースの香りと、ほんのり焦げた麺の香ばしさが、たまらない。
ベンチに腰掛けて、一口食べる。
うまい。やっぱり、うまい。
この一口のために、またがんばれる気がする。
今年の夏の夜に、小さな思い出がひとつ、また増えた。
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