空に稲妻が走った。
漆黒の闇を切り裂くその光は、まるで大地への警告のようだった。
南では、いまだ地震が頻発している。
俺は西へ車を走らせていた。
目的地があるのかもわからず、とにかく西へ――。
そう、あの三蔵法師も西を目指した。
ふと気づくと、口から自然とお経が出ていた。
しかし、なぜか途中で言葉が詰まる。
いつもならすらすらと唱えられるはずのものが、今日はなぜか続かない。
どうしてだろう。何かがおかしい。
今朝は、鳥たちの合唱がなかった。
動物や植物たちは、時に人間よりも早く異変を察知する。
人間は……いや、人間は「察知できない」のではない。
「変化を受け入れない」ように、あえて目を逸らしてるだけなのかもしれない。
よし。
今日も、行こう。あの場所へ。
昨夜は強い雨が降ったようだ。
車のボディは自然のシャワーでぴかぴかになっている。
西へ向かって車を走らせる。
途中、道を渡る亀に遭遇した。
とても、ゆっくり進んでいた。
もちろん、歩行者優先だ。
あれが彼の“全力”なのかもしれないな。
無事に道を渡りきったその時――
「ありがとう」
……声が、聞こえた気がした。
俺も応える。「お互い、がんばろうぜ」
気分を上げるために、好きな音楽をかけた。
車内に流れるメロディは、どこか懐かしく心地よい。
海が見えてきた。波のリズムに心を整える。
――さあ、あの場所へ。
あの場所は、外の世界と強固な壁で分断されている。
どれくらい強固かというと、壁は低い。
巨人なら、またげる。
そんな壁だ。
あの場所に入るには、門番のいる門を通らなくてはならない。
門番、俗に言う「守衛さん」が、ほうきを持って掃除していた。
……いや、よく見ると、剣道の素振りをしていた。
なるほど。あの場所にも武士道の心を忘れぬ者がいたか。
俺は一礼をして、門をくぐった。
あの場所には“覇気”はない。
しかし、“殺気”はある。
どこからともなく伝わる緊張感。
一瞬の油断も許されない。
俺は周囲に気を配りながら進む。
俺も武士のはしくれ。
心・技・体を日々鍛えている。
俺の剣の師匠は言っていた。
「剣一本でも、この目に止まる人々くらいなら何とか守れるでござるよ」と。
あの人は、新しい時代をつくろうと奮闘した。
その刃が、思いとは違う方向に向かうこともあったと聞く。
多大な犠牲と、交わらぬ想いの果てに、維新は起きた。
力で押し通す方が、早かったのかもしれない。
そうして出来上がったのが、今の日本だ。
俺たちは、いま、どんな時代を生きている?
師匠なら、この世界を見て、何て言うだろうか――
そんなことを考えていたら、鐘が鳴った。
今日の始まりを告げる音だ。
俺は、心の刀を構えた。
どこからでも、かかってこい。
あの場所は、弱肉強食の世界。
「強ければ生き、弱ければ死ぬ」
師匠の最強の敵も、そう言っていた。
だが、最強の敵に勝ったあの日、師匠は言った。
「勝った者が正しいというのなら、志々雄の方が正しいということになってしまうでござる」
そう、正しさとは、勝敗では決まらない。
さて。
今日は朝から忙しい。
あの場所――つまり“会社”では、仕事が山積みだ。
指示はない。
すべて自分の判断と責任。
そして、ミスが起きたときだけ、注目を浴びる。
まさに“弱肉強食”。
今日もまた、会議室がぎゅうぎゅうに詰められていた。
例のミスが発生したらしい。
若手が一人、全身を震わせていた。
あまりに震えて、ついにフリーズ寸前。
その場に静寂が走る――
俺の出番だ。
一歩前に出て、静かに言う。
「剣一本でも、この瞳に止まる人々くらいなら、なんとか守れるでござるよ」
……師匠、今日はたくさんお言葉をお借りしました。
そして俺は、会議室に集まった敵たちと戦った。
繰り出した技はただ一つ――
飛天御剣流・龍槌閃(りゅうついせん)!
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