「まだなんにも始まってもいないうちから、暗いことばかり並べたててもしょうがないものな。君はもう心をきめたんだ。あとはそれを実行に移すだけのことだ。なにはともあれ君の人生なんだ。基本的には、君が思うようにするしかない。」
ーー村上春樹『海辺のカフカ』
やっと金曜日だ。
今週はやけに長く感じた。
胸の奥には、うっすら不安が居座っている。
でも、今日は快晴と呼ぶにふさわしい天気。
天気予報アプリを確認すると、ずらりと晴れマークが並んでいた。
二週間先まで太陽の独壇場。
最高気温35度の連続記録に、夏のはじまりを確信する。
帰りには船に燃料を入れなくちゃいけない。
今日は定時ダッシュを決めるつもりだ。
車に乗り込み、あの場所へ向かう。
朝日が道路をまぶしく照らしていた。
今日も歴史のラジオが流れる。俺の先生だ。
歴史ってのは、いつだって見る角度次第。
相互理解の大切さを、何度でも思い出す。
そういえば、猫型ロボットも言ってたっけ。
「どっちも、自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。」
傘も長靴もいらない通勤は久しぶり。
足取りが少しだけ軽くなる。
と思ったのも束の間、やっぱりあの場所へ向かう足取りは重たい。
向かい風が強く吹く。
でも妙に心地いい。
まるで自然が「行くな」と言ってるようだ。
朝から山のようなメールが届いていた。
言わせてほしい。メールを考えた人に。
確認が辛いです……。
便利って、もしかしたら人を壊すのかもしれない。
少しぐらい不自由な方が、人間にはちょうどいい。
最近は、あの場所でも「チャット」なるものが導入された。
声に出しながら文字を打てる、ほとんど魔法みたいな代物だ。
見渡せば、みんなデフォルト画面がチャット。
中には、チャットしてりゃ仕事してると勘違いするヤツまで出てきた。
「いいね」「いいね」「いいね」「いいね」
グループチャットでは「いいね」祭りが開催中。
今年の夏は、夏祭りといいね祭りの二本立てらしい。
時代についていけない俺。
それでも、俺は手書きの紙を貫く。
ハンコだって押してやる。
なんでも「世界初」が好きなあの場所。
だからこそ今、「二番じゃダメなんですか?」って、あの人にもう一度言ってほしい。
手元を見ると、蚊が止まっていた。
こいつだけは今も昔も、現地現物主義。ブレないなぁ。
そんな中、業界再編のニュースが飛び込んできた。
俺が関わる業界の1位企業が、2位企業の株を過半数取得。
いわゆる子会社化ってやつだ。
でもさ、「子会社」って名前がどうも好きになれない。
子会社、下請け、孫請け。
いつも得するのは親会社。
これが資本主義ってやつか。
でも日本って、平等を重んじる国じゃなかったっけ?
便利さを求めるあまり、何か大切なものを失いかけてる気がする。
それでも争いはなくならない。
昼の鐘と同時に、梅雨明けのニュースが流れた。
まだ6月ですけど。
四季が消えた日本。
うどん小屋にも、もう四季はない。
あるのは、灼熱の熱気だけだ。
もっとこの時期に雨が降らなきゃ、農作物にも海にも影響が出る。
当たり前にあった梅雨。
当たり前が当たり前でなくなったとき、人はその変化についていけるのか?
未来の俺に、メールで聞いてみようと思った。
その瞬間、スマホが震えた。
チャットの通知。差出人はもうひとつの世界に存在する、もう一人の俺。
「助けてくれ」
短いその言葉が画面に浮かぶ。
俺は目を閉じた。
そして深い眠りとともに、あの世界へ旅立った。
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