「先のことはわからないからなんとも言えないが…。何になるかより、何をやるかのほうが大事だと思っている」
ーー宮島未奈「成瀬は天下を取りに行く」
まだ外は真っ暗だった。
目覚ましが鳴るより先に、胸の高鳴りで目が覚める。
釣り人の朝は、夜明けよりも早い。
静かな住宅街を抜け、港に着くころ、ようやく空がうっすらと明るくなり始めていた。
薄暗い桟橋に立ち、俺は深く息を吸い込む。潮の香りと、かすかに感じる朝の冷気。
沖へ出ると、風は止んでいた。
静寂の中、霧が水平線を覆い、まるで別世界に足を踏み入れたかのようだ。
「…まさか、カームベルトか?」
俺の中の“航海士ごっこ”が発動する。
潮の流れはほとんどない。
そういえば、潮は月の引力に引っ張られて動くという。
地球のはるか遠くにある月が、目の前の海を動かすなんて、考えれば不思議な話だ。
でも、のんびり考えてる場合じゃない。釣れないなら場所を変えるまで。
少し沖へ進むと、風が出てきた。
「ふぅ、無風地帯脱出!」
俺の中の航海士がちょっと得意げに囁いた。
再び糸を垂らす。が、クラゲが海を埋め尽くしていた。
まるで「ここでは釣らせねぇぞ」と言わんばかりに。
それでも、根気よくクラゲの薄い場所を探し、ようやく竿をセットする。
最近の釣具の進化には驚かされる。
一昔前は夢の魚だったマダイも、今や割と手軽に狙えるようになった。
……はずなのに、最近は全然顔を見ていない。
今日もダメかと諦めかけたそのとき——。
ギギギッ!
竿が大きくしなった。
重い。ヤバい、これは本物だ。
油断すれば、海に引きずり込まれるほどの力強い引き。
魚と俺の、静かなる死闘が始まった。
巻いては出され、巻いては出される糸。
数十分の格闘の末、ついにそいつが姿を現した。
——海の王。キングと呼ぶに相応しい巨魚。
気がつけば、俺は腕の感覚を失っていた。
でも、釣り上げた。その存在と引き換えに。
「ありがとう。また来世で会おうぜ」
そうつぶやいた瞬間、意識がふっと遠のいた——。
……
目が覚めると、身体中の水分が抜けていた。
どうやら暑さと興奮で軽く脱水になっていたようだ。
水を飲み、玄関を開けると、外はサウナのような湿気と熱気。
ポストには宅配便。
この暑さの中届けてくれる配達員さん、本当にありがとうございます。
届いたのは、ネットで注文していたカクテルシェイカー。
釣りのあとは家バーでひとりカクテル。これもまた休日の醍醐味だ。
動画を見ながら、見よう見まねで振ってみた。
——その瞬間。
「パァン!」
うまく締まってなかったのか、
中の液体がシャンパンファイトのように噴き出した。
リビングがびしょ濡れ。優勝はまだしてないのに。
でも、掃除したら部屋がピカピカになった。
これも学びだ。
失敗なんて存在しない。全部、前に進むためのステップだ。
そして俺は、再びシェイカーを手に取った。
次のステージへ進むために。
明日はイベントだ。
準備を整え、今日は早めに眠るとしよう。
おやすみ、キング。また海で会おうぜ。
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